自分はマイノリティかマジョリティか
アカデミー賞作品賞を受賞した「グリーンブック」を見に行きました。
アカデミー書というのはやっぱりメッセージ性がないと受賞できないのかなというのを感じた作品でした。
人種差別、同性愛など、マイノリティもしくは権力を持てない集団が差別される社会がアメリカにおいてほんの50年前まであったということが描かれています。
とはいうもの、今現在でもそう行った風潮はあるのでしょうけど。
この映画を見て違和感を感じた部分がありました。
ヴィゴ=モーテッセン演じる主人公トニー=リップは冒頭部で黒人(あまり好きではない表現ですが)作業者の使ったガラスコップを嫌悪感溢れる顔でゴミ箱にさりげなく捨てます。
黒人が嫌いだということをあからさまに表現していた彼が、仕事でお金がもらえるとはいえ、黒人ピアニストとともに旅をする。この時点で既に違和感を感じていましたが、トニーはピアニストに対して初対面から嫌悪感を感じさせるような態度を取らない。
ただ、物語を振り返ってみるとトニーは自身もイタリア系でマイノリティであること。「この世の中、物事は複雑なんだ」というセリフに見られる、多様性に対して寛容であることなどが、このような態度を取らせていたのかも・・・などなど、いろいろ考えることのできる作品でした。
以前ロンドンに行った時に、日本人であるというマイノリティ感をすごく感じたところがありました。ロンドンっ子はみなさんそれなりに優しかったのですが、何かこう、壁のようなものを感じた感覚があります。でも今日の映画を見て思いましたけど、結局のところ、マイノリティである自分が「私はマイノリティなんです」という壁を作ってたのかもしれません。
さて・・・
しかし・・・このグリーンブック、最近あまり見ないほどとても「古い」映画だと感じました。30年以上前にあったフットルースという映画がありましたが、映像がそんな時代の感じでした。
実はヴィゴ=モーテッセンが出演ということで、前日に「危険なメソッド」という映画をDVDでみました。ヴィゴ=モーテッセンは精神分析学者のフロイト役。フロイトとユングの頭のいいもの同士の喧嘩が、なんとなく今でも同じことがあるよなと考えさせられます。
この映画、かなり自分の中ではかなり秀逸です。特にキーラ=ナイトレイの精神疾患患者役は彼女のイメージをいい意味で叩き壊した演技でした。